コロアン島に日本と大変ゆかりのある教会があります。
多くの方が学校で習ったキリスト教宣教師「フランシスコ・ザビエル」に縁のフランシスコ・ザビエル教会です。
ザビエル教会があるのはエッグタルトの名店、ロードストーズ・ベーカリーのすぐ近く、コロアン島の集落です。海に面し、その対岸には中国(珠海市)が広がっています。マカオ南端の集落に作られたのは、後述するようにザビエルがマカオ南の上川島で生涯を閉じたためです。
コロアンは小さな集落で天井の低い古い家が今でも沢山残っています。車の入れない細い路地が細かく通り、フラフラと散歩するとなんだか懐かしい感じがします。
教会の前には左右にマカオ料理レストランがあり、いい雰囲気。
コロアンの集落は時間の流れがゆったりしていて、のんびり過ごすのがオススメです。
カジノの喧騒に疲れたらぜひどうぞ。
【フランシスコ・ザビエルの活動概要】
彼は1541年ポルトガル王の依頼を受けてリスボンを発ち、翌年からインド、マラッカなどで布教活動を始めました。
彼はイエズス会の設立時からのメンバーで、イエズス会が正式にローマ法王から認可を得たのは1540年ですから、いかにこの布教の旅に情熱を持たれていたのかが想像できます。
その後は教科書に載っている通り1549年に来日しましたが、その活動は意外にも2年のみで、日本国内の戦国の争いの中での布教を断念しています。
諦めた訳ではなく、時期を見て再来日するつもりで、インドに戻ったのですが、この日本への行き来の際の基点となったのがマカオでした。
その後ザビエルは再来のタイミングをマカオ南方の上川島で待ちましたが1552年病で帰らぬ人となりました。(享年46歳)
ザビエル死後も、その遺志を受け継ぐ宣教師らによって日本での布教活動は続けられましたが、日本はキリスト教を迫害、厳しい状況におかれた会員の求めに応じて1619年、イエズス会はインドに安置されていたザビエルの右肩から肘までの骨を日本に送りましたが、迫害の厳しい日本では遺骨の保管が出来ないとの判断から遺骨はマカオへ戻されました。
その後ザビエルは聖人に列せられ1928年にこの教会が建てられました。
遺骨は現在までに数回安置場所が変わりながら現在はサン・ジョゼに安置されています。
イエズス会では『以前は台風の激しい土地であったマカオがザビエルの片腕を与えられて以来穏やかになった』と伝えられています。
東洋の使徒フランシスコ・ザビエルは今でもマカオの守護者として尊ばれているのです