ようこそマカオのweb magazine マカオナビへ。マカオナビはマカオ専門の日本語サイトとして最も古い歴史を持ったweb siteです。あなただけの特別なマカオを見つけてください。
留学で夢を見つける方法 - 曾田彩乃 column Vol.1 マカオ – 夢と希望の交差点


あなたの夢は何ですか?
そう問われたら、あなたはどう答えるだろう。
2008年、大学2年生の私の夢は女優になること。子供の頃から女優になることを夢見ていた私は、その頃東京の芸能事務所に所属していた。
いま以上に英語が苦手だったこともあり、留学をする気はゼロ。と言うより、4年間大学生活を送りながら、芸能活動をしていき、ゆくゆくは女優として……と思っていた。
そんな私にある日の懇談会で教授が「マカオ大学の日本語教師のインターンシップ留学なら英語のスキルはいらないわよ」と言った。

突然、私の目の前に留学する道が現れたのだ。
「少し考えてみたら?」そう言われ、私の心はゆらぎ、悩むことになる。
このまま女優を夢見るのか、それとも以前から興味があり学んでいる日本語教師の道を進むのか…。
悩んでいる私に教授が言ったのは「とりあえず今年の留学試験は模擬試験のつもりで気軽に受けてみたら」と、言うことだった。
「他にも受ける先輩がいるから合格することはないと思うの」と言われ、「それなら…!」と、気軽な気持ちで受けることにした。
他の交換留学と違い、日本語教師のインターンシップ留学は面接試験のみ。教授の言葉通り、私は気軽に留学試験を受けた。どのくらい気軽だったかと言うと、他の留学試験の受験生がビシッとリクルートスーツで決めていたのに対して、私は白いワンピースにジャケットという格好だった。
ところが、模擬試験のつもりで受けてみた留学試験に合格。
合格掲示板の前で
「どうしよう、受かっちゃった……!」
と同級生にこぼした学生は私ぐらいだろう。
運良く試験に受かった後もまだ辞退しようか悩んでいた。
悩みに悩んだあと、
「合格したのは何か意味があるんだ!マカオで1年がんばって、将来は日本語教師になる!」
そう思い、留学を決意した。
2009年、マカオに留学した私の夢は日本語教師。
だが、簡単にいくものではない。
本当に私の準備不足、経験不足で大学の先生や学生さん、同じインターンシップ生にはたくさんのご迷惑をおかけしてしまった。
言語面でも英語も中国語も、もちろん広東語も出来ないため多くの人に頼った。たくさんの方に支えていただいき、いま思い出しても感謝の念に堪えない。
悩むことも多くあったが、マカオでの生活は楽しかった。素晴らしい経験をさせていただいて、一生忘れられない、宝の留学生活になった。
さて、そんな留学生活がまだ3ヶ月が経つかどうか、という時のことだ。
マカオ大学のN先生から
「マカオ空港のプロモーションビデオに出演してみない?マカオ大の卒業生が制作に携わっていて、出演してくれる日本人を探しているんだけど…」
そう声をかけられて驚いた。
まさか女優の夢を捨て、新たな夢を追いかけてやってきたマカオでこんなお仕事があるとは思わなかったので……。
2009年4月20日、撮影日は私の21歳の誕生日。
出演者は私の他、同じインターンシップ生2人、それに韓国人男性1人。空港内でカートを押して歩くところやイミグレーションを越えるところを撮影した。

特に記憶に残っているのは「マカオでたくさん買い物したよ!マカオ大好きー!」とショッピングバックを持って空港の真ん中で叫んだこと。
撮影はとても心が躍った。撮影終了時にはスタッフさんから誕生日プレゼントにと、撮影で使用した花をいただき、部屋に飾った。
「やっぱり、女優の道もいいな」という思いが小さく芽生えた1日でもあった。それでもそこから留学終了までは日本語教師を目指して過ごした。もう1年マカオ大学で教師として修行を積みたいと思ったぐらいだ。
2010年1月末に帰国し、日本で大学生活を送るうちに気がつけば小さかった女優への思いはまた大きく育っていく。大学生活も終盤にさしかかる頃に再び私の夢は「女優になること」になった
ミスコンにも挑戦し、2013年度の準ミス・インターナショナル日本代表を受賞した。これもマカオでミス・インターナショナルの世界大会が開かれたことがあると聞いてミスコンというものに興味を持ったことがキッカケだった。

「海外に行って人生が変わる」という言葉をしばしば聞くが、私は本当に人生が変わった。もちろん空港での撮影やミスコンとの出会いだけでなく、さまざまな出来事のひとつひとつが私を形成する大切なパーツだ。
もしも留学しなかったら私はどうなっていただろうか。
留学をすすめてくれた先生、マカオでお世話になった先生、学生さん、支えてくださった方々、出会った全ての方に感謝だ。
本当にありがとう!
曾田彩乃