ようこそマカオのweb magazine マカオナビへ。マカオナビはマカオ専門の日本語サイトとして最も古い歴史を持ったweb siteです。あなただけの特別なマカオを見つけてください。
聖ポール天主堂跡(世界遺産 – 18)

大三巴 聖ポール天主堂跡
マカオの世界遺産のみならずマカオ全体の象徴的なアイコンとして、その勇姿をよく使われる聖ポール天主堂跡(マカオでは大三巴「だいさんばー」と呼ばれる)。かつてあった聖ポール天主堂の前面の壁である。
聖ポール天主堂は聖ポール大学(Colegio/コレジオ)に付属していた教会で、その大学自体は1594年(日本:文禄3年・江戸時代の極めて初期。中国:明の時代)に創立された日本人の為に作られた神学校であった。大学には神学部だけではなく法学部・人文学部等も設置され、この大学から出てきた宣教師は日本・中国のみならず、ベトナムやタイ、カンボジア等へも布教活動を拡げていた、東アジア地域初の西洋式大学であった。この大学は日本教区のイエズス会の神父を育成する機関として設立され、日本人がここで学び、イエズス会の日本人神父となっていったが、後年では欧州の神父の育成へも拡げて行き、やがてその比重は変化していった。
この大学校が作られた背景は、日本が鎖国してから多くの日本人キリシタンがマカオに来た事から始まる。この事態にイエズス会がやや困惑した形跡があり、これらの人々をイエズス会に入会させるか、教区の神父になるかを選択させるべきとの意見が出された。当時、イエズス会内部では日本に対して良い印象を持っていなかった事が背景にある。その理由はそれらの人々が日本に帰ってから、イエズス会のネガティブキャンペーンをするのではないか?と言う懸念があったと言われている。
しかしながら当時の日本では宣教師が不足してた事実もあり、イエズス会の名誉を傷つけないと同時に、日本のイエズス会の困窮している状況を解決する為の折衷案として、マカオにこの日本人向け神学校とも言うべき大学校が作られた。
当時、長崎の名士、原中務の子であり、大村領主の親族と言われ今尚、謎の多いキリシタンの原マルティノを始め、千々岩ミゲル(のちに棄教)、伊東マンショ、中浦ジュリアンの天正遣欧少年使節と呼ばれた日本人キリシタンらがここで学んだ。中でも豊臣秀吉に謁見し、秀吉に大いに気に入られ、士官になる様にまで勧められた原マルティノらは、キリシタンとして生きていく道を選び、1601年にマカオに渡り、この聖ポール天主堂の神学校に学んだ。
聖ポール教会自体は1602年に建設が始まり、現在でも前壁の左側の基礎部分に石が残っている。建物自体は1640年に完成したが、現在でも残っているこの前の壁の部分は建設の一番最後の工程で造られたものである。1835年(日本:天保6年、江戸時代の後期、中国:清の時代)の火事によって聖ポール大学のあったところと教会の部分が焼け落ちた。結果、現在残っている前面の階段部分と基礎部分、そして現在でも聖ポール天主堂の象徴とされる前壁だけが残った。
逆にこの事件で有名になり、残った部分の造形が中国の牌坊(鳥居の様な形状、中華街の入り口等にある門の形状)に似ている事から、地元の人から「大三巴牌坊」と呼ばれる様になった。教会跡地の後端部は1837-1854年までのあいだ、宣教師の墓地として使われていた。
1990-1996年、マカオ政府は聖ポール教会について、考古学的見地から再考し、修復とその活用法を検証。当時、ポルトガル人の建築士がその企画と設計をし、多くの考古学者、歴史学者や博物館の学者等がこのプロジェクトに参画。それらのメンバーにより五年掛けて検討し、再開発する事になり、1996年に博物館が完成した。
教会跡地の後方部分に、【天主教藝術博物館和墓室】と言う博物館と納骨堂が造られ、そこには日本やベトナムから逃げてきたキリシタンの方々の遺骨が納骨されていて、その名や出身地等が克明に刻まれている。
尚、様々な文献を調べると、この教会を設計したと言われるイタリア人宣教師のカルロス・スピノラ(Carlos Spinola)は、自らが設計したその教会の完成を見る事を無く、 1602年に宣教師として日本に渡り、1622年9月10日、長崎で起こった元和大殉教で処刑され、その生涯を終えている。
マカオの神学校で学んだ原マルティノらは1614年、江戸幕府のキリシタン追放令を受け、11月7日、マカオに向かって出航。その後のマカオでは持ち前の印刷技術などを活かし、日本語書籍の制作や出版等に尽力したと言う。1629年10月23日に逝去。
尚、大学は1762年(日本:宝暦12年、江戸時代中期、中国:清の時代)に閉校。 その理由は同年、ポルトガルでイエズス会が取締りの対象になった事が直接の原因。マカオ当局はポルトガル政府からの要請で、マカオのイエズス会を鎮圧。24名のポルトガル人宣教師がマカオからポルトガルに強制送還された。次にイエズス会がマカオに来るのを許されたのは、それから実に100年後の1862年(日本:文久2年、江戸時代末期で生麦事件があった年、中国:清の時代)の事であった。
大三巴 聖ポール天主堂跡の周辺を含む施設
セナド広場から徒歩で5分程度。聖ドミニコ教会の先を左へ。お土産屋さんの並ぶ通りを抜けると巨大な聖ポール天主堂跡が眼前に広がる。広場前の階段の手前にはスターバックや、階段の脇の黄色いポルトガルの洋館にはユニクロなどが入っている。
大三巴 聖ポール天主堂跡情報
時 間/09:00 - 18:00 (天主堂跡)、(天主教芸術博物館は最終入館17:30)
休館日/聖ポール天主堂跡は無休。天主教芸術博物館は火曜14時以降休館、祝祭日は開館)
住 所/Largo da Companhia de Jesus, Macau
入場料/無料
最寄駅/バス:11・21A・26A・33線
中區/殷皇子馬路(M171/2)、新馬路/華僑(M134)、新馬路/爐石塘(M143)で下車、そこからセナド広場を経由して徒歩で。