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ギア要塞 – ギア教会とギア灯台を含む (世界遺産 – 25)

東望洋炮台、聖母雪地殿教堂及燈塔 Guia Fortress, Chapel of Our Lady of the Snows and Lighthouse ギア要塞(ギア教会とギア灯台を含む)
ギア要塞は1622年(日本:元和8年・江戸時代初期、中国:明の時代)-1638年(日本:寛永15年・江戸時代、中国:清の時代)の間に作られた要塞。見張りやぐらに火薬庫等を備えた軍事施設として作られた。
敷地内には教会があり聖母雪地殿教堂 – 雪のマリアの教会とも、Capela de Nissan Senhora da Guia – 導きの聖母マリアの教会とも言われている。1622年(1626年と言う説もある)に建てられたと言われていて、雪地聖母(Nossa Senhora da Guia)- 雪のマリアと呼ばれる聖母が祀られている。
一方、マカオカトリック文化協会の見解ではこう示している。この教会に祀られているマリア像は恩寵之母 – Mother of Graceであると主張していて、そこの見解は異なるが、ここでは正式名称が雪のマリアの教会となっているから、この見地から話しを進める。
全体が軍事区域とされている為、一般人は立ち入り禁止だったが、毎年8月5日の雪のマリアの記念日と旧暦の9月9日重陽の節句(日本では菊の節句)は開放された。
この雪のマリアに関してはこの様な話しが伝えられている。
ローマの貴族であるジョン夫妻。敬虔なキリスト教徒である夫妻には子どもがおらず、その生活の全てを神に捧げていた。
四世紀、358年の8月4日の夜。ジョンの夢の中に聖母マリアが現れ、「その日、雪が降ったところに教会を建てるように」と告げられる。ジョンはその事をローマ教皇に伝える。
それを聞いた教皇はすぐに指示を出した。
8月5日、夏であるにも関わらず早朝、雪が降った。
その降った場所に建てられたのが、現在のイタリアはローマの聖マリア・マジョーレ教会であり、それから数世紀にわたって8月5日は雪の聖母の記念日とされていた。
一方のマカオでは状況が少々異なる。
雪の聖母といえば、隠れキリシタンが隠し持っていた“雪の聖母の聖画”がある。これは雪の聖母の祝日に用いられていたと伝えられている。
その8月5日。1622年のこの日、日本では長崎の西坂でキリスト教徒55名が火炙りまたは斬首によって処刑された元和の大殉教が起こった日である。長い風雪と迫害に耐えたその聖画は現在、長崎市の【日本二十六聖人記念館】に収蔵されている。
ローマでの祝いとマカオ – 日本で起こった悲劇。しかしこの史実は、マカオと日本、就中、長崎が深い縁で繋がっていた事を証明する何よりの証拠である。
1996年、この教会内で壁画(フレスコ画)が発見され、1998年に専門家によりフレスコ画の修復が始まり2001年に完成。教会は再び内観出来る様になった。これらの壁画は中国の手法で描かれて、中国・敦煌の世界遺産となっている“莫高窟”の材質と極めて近いもので描かれている事が判明。その為、莫高窟と同様、教会内の温度を常に20°Cに保つ様にしている。
灯台は1865年9月24日(日本:慶應元年・幕末の時代、中国:清の時代)に完成し、使える様になった。1874年9月、マカオを壊滅状態にまでした巨大台風により大きな損傷を受ける。1910年6月29日(日本:明治43年、中国:清の時代の最後)に修復が完了し、使用が再開、現在に至る。
この要塞、教会、灯台にせよ、いずれにも付いている名称の“ギア -Guia”と言う名称は、ポルトガル語で“ガイド”の意味。
これを灯台に冠し、教会に冠し、国防の要である要塞に冠したところが、当時のポルトガル人がマカオを防人であり、或いは未知の新世界へ導いてくれる聖母とし、ひとつの大きな海原を航海する船に見立てた様にも感ずる。
この“ギア – Guia”と言う名称は、マカオグランプリの舞台となるマカオ半島のメインの一般道を閉鎖したサーキットにもその名称を冠し“ギア・サーキット”と正式に命名、登録し、フォーミュラカーで争われるマカオグランプリの“グランプリ”のタイトルに対し、ツーリングカーで争われるレースに“ギアレース”の名称を冠している。
いずれにしてもマカオを代表する名称が“ギア”である事だけは間違いの無い事実である。
尚、この場所にクラリスト修道女がいて、クレア修道院を作る前にこのギア教会を建立したという記述があるケースもありますが、このギア教会は
- 1622年から建設が始まった事
- クラリスト修道女がこの地に住んでいた記録は1633-1634年頃と言う記録が残っている事
- クレア修道院が作られたのは現在のミリタリークラブの近くにある聖ローザ学校の場所だった事
- その後、それは取り壊されている事実
などを踏まえて、この章ではクラリスト修道女の説を排除しております。
*1874年9月の台風については聖アントニオ教会をページをご参照ください。
ギア要塞の周辺を含む施設
他の世界遺産のエリアとは離れた場所にある為、単独で目指すのが賢明。松山と言う市内中心部にある山の山頂にあり、二龍喉公園からロープウェイで松山市政公園に上っていく方法と、 バスターミナルの亞馬喇前地、リスボアホテル方面から徒歩で松山市政公園を目指す、ロープウェイとは反対側のルート等、いくつかの行き方があります。
二龍喉公園には小さな動物園的なエリアもある。
もう亡くなってしまったが数年前までマカオのアイドル的なクマ、マレー熊のBoBoがいた。その昔、密輸されてマカオに連れてこられ、中華料理屋の軒先の檻に入れられていたのをドイツ人ジャーナリストが発見し通報。マカオの警察と市政署が駆けつけて救出。その時一才だったこの熊はBoBoと名付けられ、以来二龍喉公園の動物エリアで市民のアイドルとして活躍。晩年、体調を崩しコロアンのパンダ公園に移した。三十四年(熊年齢35才)でその生涯を閉じた。現在は剥製になってコロアンの動物標本展示館に展示されている。
二龍喉公園から
亞馬喇前地からバスで25または25Bで高士德/培正 M84/1または22 で高士德/培正 M84/2下車。バスの進行方向とは逆方向へ徒歩で進んだ突き当たりが 二龍喉公園の入り口。
公園入り口に多くの飲食店や売店が並ぶので、飲料・食べ物の購入や公衆トイレもある。
そこから徒歩またはロープウェイで上る。
亞馬喇前地・リスボアホテルエリアからのルート
グランドリスボアホテル裏手のミリタークラブ(陸軍俱樂部/Military Club Edifício do Clube Militar)を目指す。
ミリタリークラブの後ろにある公園 (加思欄花園/Jardim de S. Francisco)の階段を上り、公園の裏口まで出る。目の前の道(東望洋新街 Rua Nova A Guia)を左に道なりに歩く。約450mほどで皇都酒店(Hotel Royal)との十字路。そこを右折し坂を上がると右手に東望洋酒店(Hotel Guia Macau)。ホテルを越えたすぐの場所が松山市政公園入り口。左折して坂を上ると公園の駐車場。
東望洋新街 Rua Nova A Guiaには小さな店やコンビニがあり、飲料水や食べ物の購入はどこでも可能。
こちらのルートは公園には公衆トイレがあるが、基本、コンビニのトイレの貸し出しは無いので要注意。
ギア要塞情報
時 間/09:00-18:00(最終入場時間 17:30)10:00 - 17:00(雪のマリア教会の開館時間)
灯台は外から見るのみ
休館日/無し
住 所/Estrada do Engenheiro Trigo
入場料/無料
最寄駅/ギア要塞の周辺を含む施設 - 二龍喉公園から を参照