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戦中日本地方公務員のマカオ認識 – 名古屋市広東出張所長若松茂氏の報告から 【後編】- 連載 – 塩出浩和の近代マカオ地政学 #3


城西国際大学国際人文学部教授 塩出浩和

詳細な貿易関連報告

 「五 経済概況」を読むと製造業と貿易業の集積がある名古屋市の公務員としての貿易に対する関心の高さがわかる。

 マカオは、ポルトガル本国及び植民地製以外の酒・たばこ・ガソリン・セメント・マッチなどに関税(報告書では「消費税」と呼称)がかかるほかは、すべての輸入が無関税の自由貿易港であるが、香港成立後は「国際貿易ルートの圏外に脱れ」ほぼ香港と中山などの近隣地域の中継貿易のみに関わってきた、とする。マカオ地場製品で輸出されてきた品目としては、海産物・爆竹・線香・マッチなどが挙げられている。この地場輸出品目構成は実は戦後の1970年代まで継続する。繊維製品と服飾品が主要地場輸出品として登場するのは1980年代であるが、マカオの工場の多くは1990年代には中国内地に移転してしまう。

 報告書によると1937年の支那事変後は援蔣貿易の中継地として貿易が活況を呈した。1936年の貿易額は輸入1574万パタカ・輸出914万パタカだったが、1938年にはそれぞれ2843万パタカ・2074万パタカとなった。しかし、1940年に江門県と中山県が日本軍の占領を受けると援蔣貿易は困難となった。代わりに、香港と日本軍占領地間の貿易をマカオがつなげた、とする。日英開戦後民間貿易は中山との野菜輸入・石油製品輸出のバーター取引に限定され、残りは日本軍主導の「特殊貿易が存在するのみ」となった。香港陥落後はマカオの民間貿易はほぼストップした旨が語られる。

 若松氏による調査当時のマカオ対外貿易は「我が〇〇、〇〇の支援の下に文字通り特殊なる貿易に従事するもの」のみとなったと記している。報告者が〇で表した伏字部分は、もちろん「海軍、陸軍」であっただろう。マッチなどマカオ産雑貨をタングステン等の戦略物資と交換する交易に昭和通商と利興洋行が従事していたと書かれるが、一方で「詳細発表の自由なきを遺憾とする」と嘆いている。地方公務員も軍事機密に触れるのを避けていたわけだ。

 密輸についても一項を立て、従来盛んであったものがマカオ政庁の政策(ジャンク・漁船の夜間航行と貨物積載の禁止)と日本海軍の封鎖によって「息の音を止められるに至っ」た、としている。

 若松氏は製造業・商業等の施設数を詳細に調べている。製造業の工場数では、菓子醤油の20が最も多く、次いで楽器11・紡績5・手拭5・石鹸4・爆竹4・マッチ3・缶詰3・製麺2・たばこ2・什器2となり、残りは、ゴム靴・蚊取線香・象牙細工・レンガ・墨と墨汁・化粧品・電池・染織が1カ所ずつである。商業施設は、旅館30・洋服及洗濯16・美容院及浴室16・食堂15・書店15・薬局15・菜館飲氷室13・航運公司12・百貨及商業公司12・支那料理店11・自動車公司11・写真及機械材料公司10・戯院ダンスホール9・銀行及銀荘8・電灯水道公司3・電話公司2・航空会社1と記録する。飲食施設関係に3業種が挙げられているが種別基準は不明である。食品以外の製造業は脆弱で、消費中心の都市であったことがわかる。この数字によって戦中と戦後初期までのマカオ経済の様相が想像できる。

 「六 澳門華僑」以下で当時のマカオの政治・社会状況が活写されている。

マカオ在住華人への関心

 「商工業の有力なる会社は殆ど香港に集まっていた関係上」マカオの華人有力者は「阿片賭博密輸関係者」であり、「ダークサイド」に関係し「敏捷狡猾なる一種独特の気風」がある、と概括する。

 その上で、「中枢として勢力を有する」者8名を掲げている。

氏名職業資産(パタカ)
李際唐船舶1500万
高可寧阿片・賭博・船舶600万
馮祝万政治家80万
黄裕剣商業60万
畢侶候阿片・賭博・船舶 (阿片専売局長)70万
陸電明銀業(萬有有限公司)70万
梁俊源商業80万
呪増祥堂商業100万

 重慶国民政府側に立って活動する華人にも言及しているが、詳しくはない。表中の李済深は広西出身の国民党系軍人であるが、共産党との抗日民族統一戦線結成を支持し周恩来との関係もあったため、当時蒋介石との関係は微妙であった。李は戦後蔣とたもとを分かち中国国民党革命委員会主席となり、のちに中央人民政府副主席にまでなった。 「李済深系」という馮祝万の評価は、「蒋介石系よりも日本には危険な重慶派」という位置づけであろう。

 1941年の日本軍による中山県占領前は反日テロがあったが、ポルトガル・マカオ政庁の対日接近によって重慶側人士は弾圧された、と評価している。しかし、このことは中立地マカオが「重慶との和平」においてその舞台になる可能性を狭めている、とも心配しているのは興味深い。

 1941年から42年にかけてマカオ政庁が政策を変更したことによって「澳門華僑の抗日色」は薄まってきた、とされる。「映画館における抗日映画と抗日ニュース上映の禁止」、「抗日教育の禁止」、「親日華字新聞西南日報の活躍」によるマカオ市民対日感情の好転に言及する。しかし、実際はまだ「絶対的抗日」が6割、中間が3割、親日が1割と厳しい評価をしている。

 福井保光領事の「従来邦人は澳門在留者にしても旅行者にしても万一を慮って旅館乃至宿舎に蟄居し外出の如きも出来得る限り避けたものであるが現在澳門市中の何れの路地を闊歩するとも何らの危険がない」という言葉を記録している。また、日本語学校生徒150人の募集に対して1000人以上の応募があったことにも触れている。ただし、領事自身がこの日本語学習熱が「便宜主義を一歩も出」ていないことに気付いているとも記す。1945年にマカオで暗殺されることになる福井領事であるが、本心では在マカオ中国人の厳しい反日感情を理解していたのだろう。名古屋市派遣の公務員に対しては敢えてポジティブな側面を強調していたようだ。

 1942年当時のマカオ在留者のかなりの部分は難民であった。報告書では、1937年の「日支事変」後に中国南部からマカオへの難民が増えたが、1941年12月の香港陥落後にはさらに増加し、「三十万乃至四十万」に達した、としている。そして、これら難民に対してマカオ政庁は「別に拒みもせぬ代り保護もまた行っていない」という。難民の多くは飢餓状態にあり、3万人が野宿し、衛生状態が悪いという。1941年のコレラ患者が680人いたほか、自殺者と犯罪者も増加している、と嘆く。宗教団体と慈善団体による救済事業が「時折行はれているに過ぎない」とする。

在留邦人について

 従来はマカオに15年在住し数人の中国人妻を持つ雑貨商1名以外にはいなかったが、1940年3月に内河運営会社がマカオ支店を開設して以来数名が定住しているほか、領事館・陸軍特務機関・海軍特務機関の日本人が来澳した、という。さらに日本軍の中山県占領後は貿易に携わる日本人が増え、200人から300人となった、とする。しかし、1941年7月にマカオ中山間貿易が遮断されると商業に従事する日本人は(軍の物資を扱う)「特殊貿易商」以外は退去した。1942年1月の「在留邦人」数は以下の通りで、総計132人であった。

 業種別では、商社25人、(軍)機関3人、船会社1人、医師1人、新聞社1人であった。商社員の多くは軍関係の特殊貿易に従事する者であったという。台湾人が多いが、言葉と気候の両面でマカオへの適応力があったのであろう。軍機関が3人というのは少なすぎる感がある。特務機関員の実数は領事館も把握していなかったのかもしれない。

 企業としては、陸軍専門の昭和通商、海軍専門の利興洋行のほかに、三井洋行・三菱公司・南華公司・中南公司・日本水産・協業洋行という商社、日系華字紙の西南日報、航運の内河運営があった。

マカオの現状評価

 「香港の寄生蟲的存在でしかなかった澳門がその寄生母体たる香港を喪った」結果、生産力と政治力を持たない消費都市マカオに「大東亜共栄圏内に果たして孤島的に存在し得るや」という将来に対する「根本的政治問題」がある、とする。その上で現状は通貨混乱・物価騰貴・食糧難という経済問題に見まわれているという。

 マカオの通貨については「四 金融概況」で若松氏は既に説明しているが、「八 澳門今日の問題」では当時マカオの通貨が一層混乱していたことが活写されている。マカオの基軸通貨が実質的に香港ドルであったため、香港の陥落はマカオの通貨事情を根底から揺るがした。混乱の中で、高額紙幣が忌避されるという現象が出現していた、という。例えば500香港ドル紙幣を少額紙幣に両替する場合、460ドルにしかならない。そのような中で、補助硬貨である広東省発行の旧20銭銀貨が実質的本位通貨になるという逆転現象があった。1941年12月の日英開戦後は、香港において日本軍票の香港ドルに対する価値が従来の3倍から5倍となったことに言及される。香港における軍票化政策のなかで、香港ドルの実質的価値を保存したのがマカオだと考えられてきたが、マカオでも香港ドルの価値低下は激しかったようだ。

 通貨価値の低下は、債権者に大きな損失をもたらした。また、定額賃金で働く労働者は実質賃金の低下に見舞われた。マカオ政庁は「収拾策なく放任のやむなきに」到っている、と評価される。若松氏はマカオの基軸通貨を香港ドルから日本軍票に代えるよう提言している。しかし、1942年2月の段階で、マカオ政庁は日本軍票のマカオ持ち込みを禁止していた。「中立地」としての最低限の措置であったのだろう。

 日英開戦によるマカオ貿易ルートの遮断は物価騰貴をより深刻なものとした。若松氏は三井物産澳門出張所の調査による1942年2月12日時点の主要生活必需品の値段を掲げている。これらの値段は20銭銀貨で支払った場合のものであるという。マカオの労働者は10パタカ紙幣で給料を受け取っていたが、10パタカ紙幣は5.4パタカ分の銀貨にしか交換できなかった。実際は表記の約2倍の支払いが必要だったことになる。

 白米が1斤(約4合)1.40パタカで、これは2年前の香港における価格(0.14)の10倍となっていた。以下、1942年2月のマカオ価格とその2年前の(香港価格)は次の通りであった。牛肉1斤1.54パタカ(1.00)、鶏肉1斤2.60パタカ(1.90)、ジャワ糖1斤0.77パタカ(0.22)、薪(松)1担10.00パタカ(5.00)、鶏卵1斤0.20パタカ(0.05)、木炭1担32.00パタカ(5.00)、たばこ(ゴールドフレイク)50本6.50パタカ(1.00)、ビール1本3.80パタカ(0.50)・・・と品目により程度の差はあるが正にハイパーインフレーションと言える状態であった。

 若松氏は食糧難についても詳しく紹介している。農耕地がほぼないマカオは従来、主食であるコメを仏領インドシナ(現在のベトナム)から輸入していたほか、小麦粉等はオーストラリアから香港経由で調達していた、という。1942年時点ではどちらのルートも途絶し、マカオ政庁の必死の努力にも拘わらず食糧難に陥っていた。そのため、日英開戦後はコメとパンの配給制を導入した。一人一日コメは1斤、パンは2個という食料切符が配られた。しかし、主食は不足し、切符はのちに抽選制となった。マカオ半島の中央部に位置する市民運動場には毎日1万人以上の市民が「晴雨を厭わず抽選のため雲集」した、と報告する。午前8時から午後3時の抽選結果発表まで長蛇の列をつくっていた。抽選に当たった者の喜ぶ様子と落選した者の「深刻なる顔面筋肉の動き」を活写している。

 1942年2月はマカオの食糧難が最悪だった時期で、政庁の在庫も底をついていた、という。その窮状をみた広東の日本軍政当局が中国米1000トンをマカオに供出した。これによって3カ月分の配給に目途がついた、と報告する。若松氏が広州に戻った後、マカオ政庁は仏領インドシナからコメ1万数千トンの輸入を実現すると表明したが、その実現には疑問が呈されている。インドシナ米は広東及び香港の日本軍政との取り合いになっていたのである。

 コメの多くをインドシナ半島の国々に頼るという構造は現在のマカオと香港に通じる。野菜や一部の果物については中国大陸からの輸入があるが、小麦粉や乳製品のかなりの部分については現在でもオーストラリアに依存している。

若松氏の見通し

 「九 結び」ではマカオについての若松氏の見通しが語られる。全面的に依存していた香港の陥落、本国ポルトガルの無力、産業の不在、財政の阿片・賭博依存、日本海軍による封鎖、などからマカオの将来に対しては悲観的である。そのため、マカオは「百パーセント日本に依存する外自存する術がなくなって来て居る」と断じる。マカオは日本の言いなりになるしか生きていく途がないという評価である。日本としては中立地としてのマカオの地位を利用し、対重慶工作、敵地資源獲得に利用できるが、その価値がなくなれば厄介なものとなる、と結論する。消費都市に50万人の市民を抱えるという現実は周囲を占領する日本軍にとっても重荷になりつつあった。

 一次産業と二次産業の集積がないマカオは過去においても、そして現在においても、経済的かつ政治的に外部に依存せざるをえない存在なのである。



写真は澳門日報のアーカイブ[ https://www.macaodaily.com/html/2025-08/25/content_1853369.htm ]1943年10月前後の記事から引用。

  • 1.BNUと略称され、「大西洋銀行」と漢字表記されるポルトガル系銀行。現在は中国銀行澳門支行とともにマカオパタカ紙幣の発券銀行。
  • 2.滝口太郎「李済深」山田辰雄編『近代中国人名辞典』霞山会、1995年、405-407頁。
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